Sputnik Sweetheart

つらつらやってます

中学時代の友人といまだにつるむ地元の話

わたしの地元では、同じ中学や高校の友人といまだにつるんでいる人がたくさんいる。

彼らは社会人になって数年経ったいまでも、結婚したり子どもを産んだり離婚したりしても同じメンバーとつるんでいるのだ。

なんなら元旦那の親友と付き合うなんてケースもあるくらい、コミュニティがかなり限られている。

どこの田舎も同じかもしれないが、わたしの地元は同中・同高の繋がりが強い。都会にでても出戻りする人も多く、地元と密に接しているようだ。

週に数回は中学時代の仲間同士で飲みに行き、職場が同じということも珍しくない。

 

とある日、地元の友人から「中学時代の先生が校長になったからお祝いをする」という連絡がきた。

ちょうどわたしの帰省時期と同じタイミングだったので友人も誘ってくれたのかもしれないが、正直関わった記憶も興味もない先生の祝いにいく意味がわからなかったのですぐに断った。

すると「Aは大阪から来るのに」といわれたのだ。

いや、そんなこと知らんなんて思ったけど、いまだに中学時代の先生と交流があることに驚いた。

その友人たちと先生の関係を否定するつもりはないが、卒業して10年以上経つのに、しかも先生の連絡先を知っているという密な関係に対して、わたしはかなり違和感を持っていた。

地元を離れた上京者は、その人個人ではなく「上京者」としてくくられ、比較される。

わたしは都会で働きながらも地元の関係を大事にしているAにはなれなかった。

ちなみに中学時代、わたしと同じようにAも先の先生とは関わりがあまりなかったはずだが、いまだに先生や友人たちと交流があるようだった。

そんなAのように振る舞いたいとは思っていないけど、誘ってきた友人の「Aは来るのに」という言葉がひっかかっていた。

 

わたしは地元に帰省したとしても会う友人は2人くらいに限られている。1人はお祝いの会に誘ってきた友人。

もう1人は学校すら被っていない、へんぴなコミュニティで出会った友人なのだが同じ中学だった人たちよりも長く付き合っている。

 

中学時代の友人は、わたし以外高校に進学していない。みんな卒業と同時に社会人になったためか、高校や大学で友人を作る機会がなかったのだろう。

そんな地元ラブな人たちと会って話すこと自体が、だんだん面倒になっていった。会っていない期間が長くなるとどこから話せば良いかわからないのだ。

彼らは同じ時間を同じ仲間同士で過ごしているから、きっと地元ネタで話が盛り上がるのだろう。

その地元民と比べるとわたしは周りの現状を知らないわけだから、非常に会話に気を使うようになる。

「そんなの友だちだから関係ないでしょ」では片付けられない。その無意識かつ無配慮な会話が不意に友人を傷つけてしまうことかもしれない、とても想像力がない行為だと思う。

そうなると会話のネタは昔話になるのだが、まぁそれも大して面白くない。

中学時代に毎日一緒にいた友だちでも、そんな話しかできないこと自体、とても居心地が悪いのだ。

そんなこともあり、帰省したときにわざわざ中学時代の友人に連絡することはなくなった。

ためしに数年前、久しぶりに会う機会があって飲みにいったことがある。お互い探り探りの会話などで楽しめたが、それ以降連絡することはなかった。

そして時が経ち、つい先日わたしは結婚した。このことを地元で知っているのはたった数人で、中学時代に同じ青春を過ごした6人の友人は誰も知らない。

当時は2コ1(ニコイチ)ならぬ、6コ1(ロッコイチ)だね〜。とか訳のわからんことをいっていた仲良しメンバーだったが、連絡を取ることも結婚報告することもない。

「それでも繋がっているから」みたいなことを共通の友人にいわれたことがあるけど、それは地元にまだコミュニティがあるからこそいえることなのだ。

わたしにそんな地元のコミュニティはない。

コミュニティとはひとつだけでなく、いろいろと持つべきだと思う。自分の可能性や考え方を狭めないためにも、それはとても大事なことだと肝に銘じて過ごしてきた。

そしてわたしの性格上、密な関係になればなるほど、井の中の蛙になることに恐怖心があるからだ。

そのコミュニティでしか通じないルールなんて、求めていない。

 

思い返せば中学時代の6人とは色んな思い出がある。色んなエピソードもある。大人になってでにた友人よりも、色鮮やかで濃厚な時間を過ごしたと思う。

ただ、それだけ。